『ライフエクスペリエンス』 最終話
Kツカからの結婚発表も終え、僕の中では、あの夢=ライフエクスペリエンスは、
何かの思い違いというわけではなく、現実のものであることが証明されてしまった。
今までのことから鑑みるに、
他人の未来の1日を経験できることが、このライフエクスペリエンスなのだろう。
いままで、ひかりお、仲田京左衛門、松本尚樹、前歯が出気味の男、Kツカ、
そして、こはぎと多くの人のライフエクスペリエンスを行ってきた。無意識に。
そのことを不意に思い出した。
多くの人がいろんなことに悩んでいた。壁にぶつかっていた。
立ち向かっていた。その壁を乗り越えるためにもがいていた。
そのもがく方法が「本を読む」という行為だったのかもしれない。
僕はただ本が好きだったから読んでいただけだ。ただ読んでいただけだった。
自分の人生で、みんなのように悩み、
その壁を乗り越えようとしたことが、僕にはあったのだろうか。
本気になったことがあったのだろうか。
いつの間にか、当たり障りのないことに、悩まないように、考えないように、
そんな選択肢を選んでいなかっただろうか。自分の感情を押し殺していなかっただろうか。
急に胸が苦しくなってきた。
悩まないことが幸せなことなのか?
悩み、もがき、苦しみ、それを乗り越えていくことが生きているということなのではないか?
答えなんてでない。
いまの僕にその答えは分からない。
ただ言えることは、自分が生きているということに嘘をつきたくないということ。
自分の人生を後悔のないものにしたいということだけだった。
そう頭に漠然と浮かぶと同時に、こはぎを呼び止めていた。
「こはぎ!一緒に帰ろう。ついでに母校の小学校によらないか?」
「いいよ!」
19時くらいだろうか。小学校に着いた。そこにはすでに夜が待ち構えていた。
僕の心は、いままで以上にシンプルで聡明だった。
「こはぎ。俺と付き合わないか?」
「えっ!?」
「こはぎのことが好きだ。時間かかったけど、やっとそのことに気づいた。
俺の生活の中にいつもこはぎがいて、俺の人生の中にいつもこはぎがいた。
これからもそういう人生を送りたいなって思ったんだ。」
「いいよ!つきあお!」
「えっ!?」
「だから、付き合ってあげるって!可愛い女の子に何度も言わせないのっ!」
「いいのか?」
「いいよ!てか、むしろ遅いよ(笑)」
自分の中では、人生をかけた大勝負だった。
その大勝負に勝ってしまった。
いままで、自分の感情にそっぽ向いて、楽で当たり障りのない選択肢ばかりを選んできたのに、
意外にも大勝負に出るっていうのはこんなものなのかもしれない。
なんか、いままで損してきたな。。。泣
その日が僕の人生の最大の分岐点になった。
本気で実家の本屋を継ぐことを決意し、日本一の本屋にすることを決意した。
こはぎとも結婚をした。
気がつくと人生を思いっきり楽しんでいる自分がいて、
気がつくとライフエクスペリエンスは見ないようになっていた。
ライフエクスペリエンスは、自分の人生をどのように生きればいいのか迷っている時に、
人生を一生懸命に自分の夢に向かってひたすらに突き進んでいる人の1日を経験できる能力だったらしい。
自分の夢が見つかり、その夢に向かって必死に人生を歩んでいけるようになったことで、
ライフエクスペリエンスの役目は終えたようだ。
結婚式の2日後、Kツカが僕の家に現れた。
一枚のスケッチブックを持っていた。
「これ、二人にやるよ」
「なに?俺らの結婚式の絵?でも、俺のタキシードもこはぎのドレスも微妙に違うな」
「これは、前にみんなで花見をしたろ?俺が結婚を発表した時。その時に描いた絵だよ。」
「えっ?それってどういうことだ?」
「俺、一時期、山にこもって絵ばっかり描いてたろ?あの後から、
人を描くとたまーにその人の未来を描いてることがあるんだ。俺の能力ってやつかな?(笑)
でも、これほんとなんだぜ!?それにこんな絵もある。」
Kツカは、もう一つの絵を取り出した。
そこには、こはぎが本を手に取り、自分の部屋の右隅を見ている絵だった。
振り返るように見ていた。その視線の先には、こはぎを見ている僕の姿が描かれていた。
「(まじか。。ライフエクスペリエンスのことは誰にも言ってなかったんだけどな。)
Kツカ。俺はお前の能力のこと信じるよ。絵、ありがとう。」
何の因果かわからないが、能力は能力を引き寄せるらしい。
「人間の脳は10%しか使われておらず、残りの90%はなぜ存在し、
どんな能力が秘められているのか未だに解明されていない」
まさにその通りだ。
僕たちは、まだまだ自分の能力全てを活かすことはできていない。
言い換えれば、なんだってできるかもしれない。
自分の限界を勝手に決めること、どうせできやしないと思ってやらないことほど勿体ないことはない。
僕たちはどこへ向かっているのだろう。
宮部みゆきの「火車(※※)」のように、
ゆっくりと燃えている車に僕を乗せ、地獄へ運んで行っているわけではないはずだ。
ライフエクスペリエンスを通して、
僕は、人生の素晴らしさ、人生の歩み方を学んだ。
あとは、天に昇る龍のように幸せとともに舞い上がっていきたい。
**ブックレビュー紹介「火車(かしゃ)」
主人公である刑事・本間俊介は、犯人確保時に負った傷のために休職していた。
そんな彼に、亡くなった妻・千鶴子の親戚で銀行員の栗坂和也が意外な事を頼み込む。
謎の失踪を遂げた和也の婚約者・関根彰子を探し出して欲しいという。
和也の話によれば、クレジットカードを持っていないという彰子にカード作成を薦めたところ、
審査の段階で彼女が自己破産経験者だということが判明した。
事の真偽を問い詰められた彰子は、翌日には職場からも住まいからも姿を消していたとの事だった。
休職中で警察手帳も使えない本間は、彰子の親戚や雑誌記者を装って捜査を開始する。
最初に彰子の勤め先を訪ね、社長から彰子の履歴書を見せられた本間は、写真を見て彼女の美貌に驚く。
彰子の自己破産手続きに関わった弁護士を訪ねたところ、
「関根彰子」は会社勤めの傍ら水商売に手を出しており、容貌の特徴は大きな八重歯だという。
勤め先での関根彰子と自己破産した関根彰子は、名前が同じながら容貌も性格も素行も一致しないのだ。
本間は和也の婚約者だった「関根彰子」は、本物の関根彰子に成りすました偽者ではないのかと言う疑念がわく。
その先には、どのような結末が待っているのか。1993年山本周五郎賞を受賞した本作品。是非ともご一読いただきたい。
※1 当該ブックレビューは連載ものです。第1~9話を読まれたい方は
(というか絶対面白いので読んでいただきたいのですが)
「2016年5月のまえもり:https://search.sunfrt.co.jp/blog/staff/yby/p6239/」から、
毎月1話ずつご一読いただければと思います。
まえもりブックレビュー⇒https://searchi.sunfrt.co.jp/blog/maemori
※2 このブックレビューはフィクションが記載されております。実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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タイトル:火車
著者:宮部みゆき
発行:平成10年2月1日
発行所:株式会社新潮社