『松山・高知』研修旅行にいってまいりました!~そうだ、四国へ行こう♪~

いつもありがとうございます。
11月19日~11月21日の3日間で、本年度第3弾の社員研修旅行に行って参りました!
今回の場所は、『松山・高知』...サンフロ初の四国です!!

1多くの参画者にとっても初の四国の旅路です。
総勢41名の参画メンバーは既に鹿児島・京都・萩広島など毎年の研修旅行で歴史や文化を学んでこられた方々ばかり。どんな研修旅行になるのか、期待を胸に羽田空港を出発いたしました。


羽田空港から愛媛松山空港へは、なんと所要時間たった1時間5分、非常に近いことにびっくり。
新幹線で名古屋に行くよりも、はるかに近いんですね。
・・・そうだ、四国行こう♪(笑)

それでは、松山・高知研修旅行団の、濃厚な3日間の足跡をご紹介させていただきます。


【1日目】
●松山城
到着後に最初に向かったのは松山城。松山空港からはバスで30分程度です。
小高い丘にそびえたつ名城から松山市街を眼下に眺めることで、
これから廻る松山の街に想いを巡らせて頂こう!ということで、最初に訪れました。


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見事な景色です!登り石垣も見えますね。


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こちらは天守閣の中です。
ボランティアガイドさんから説明を受け、
なるほど、という声が多く聞こえてきて
おりました。


 

3松山城の築城主は加藤嘉明で、天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いで勝利した徳川方にて、多くの戦功をあげました。

その功績が認められ徳川家康から松山城を築城する許可を得たため、松山城の造りや紋章からは徳川家との縁を感じるものが多くありました。


ちなみに松山藩は、戊辰戦争でも徳川幕府側(佐幕派)として参戦しております。
その結果、敗れた佐幕派の松山藩は、朝廷への多額の賠償金を支払い財政難に陥ってしまうんです。

その頃松山の街に暮らしていたのが、秋山好古・真之兄弟でした。
秋山家もまた貧しかったそうで、秋山好古は最終的には官費で学べる軍の学校に行かざるを得なかった
そうです。そういう時代背景があったからこそ、軍人秋山好古・秋山真之兄弟が誕生したんですね。


●伊予人めぐりツアー松山城を下りたあと、2班に分かれて、伊予人の偉人の史跡を徒歩でめぐるツアーを行いました。秋山兄弟や正岡子規、夏目漱石などの明治期を全力で駆け抜けた偉人達の史跡に触れ、学びも一入です。
ツアーの様子を、一部紹介させて頂きます!

4 4-2ここは秋山兄弟生誕地、松山中心街から徒歩で5分くらいのところにあります。
秋山好古・秋山真之の銅像、写真など展示物が多くありました。
皆、ボランティアガイドさんの話に引き込まれ、真剣な眼差しです。


5『あっちじゃ、行けーーー!!』と横山社員。きっと何かが…あるんでしょう、きっと…!

日露戦争当時の日本馬は外国馬に比べて体格が小さく、今でいうとポニー程度の大きさでした。よく世界最強のロシアコサック騎兵団に勝ちましたよね、ホント。


6正岡子規と夏目漱石が約2か月同居した、愚陀仏庵の跡地です。


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こちらは正岡子規と秋山真之が学び、夏目漱石が教鞭をとった松山中学校の跡地です。

夏目漱石が松山に滞在したのは約1年たらずと短い期間だったそうですが、

松山を離れた後も松山の事を忘れられずにいた漱石は、松山を舞台にした『坊ちゃん』という小説を
書いたそうです。夏目漱石も忘れられない魅力のある街、松山はそんな街なんです!


●明教館・正岡子規記念館
伊予人めぐりツアーの後はバスで移動し、松山藩校の明教館と正岡子規記念館を訪ねました。
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こちらが明教館、昔の人は、ここでどんなことを学んだんでしょうか。


9続いて、正岡子規記念館です。
展示物も多く、正岡子規や俳句が
好きな人にはたまらない場所です。


●道後温泉
松山の街を巡る1日目もいよいよ佳境に入ります。やってまいりました、道後温泉です!!
日本三大古湯の一つとされている温泉で、古くは聖徳太子も入湯したそうです。
なんと歴史の古いこと!!

旅行団は道後温泉街の中心にあり重要文化財に指定されている、道後温泉本館に入湯しました。
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ライトアップ、綺麗ですよね!!足に傷を負った白鷺が毎日お湯に足を浸していたところ、その傷は完全に癒えたそうで、それを見ていた人達がそのお湯に入浴し始めたのがきっかけと言われる道後温泉、古(いにしえ)を感じます。
ちなみに道後温泉本館は、2017年の愛媛国体終了後に、改修工事に入る予定があるとのことです。改修工事期間は10年程度は要するようです。
・・・そうだ、四国行こう♪


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重要文化財で風呂上り定番の
コーヒー牛乳を飲む小田次長、きまってマス!


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中は畳で、浴衣も着ることができます。


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道後温泉駅と道後温泉本館の間は
アーケードの商店街が連なっておりました。

所謂温泉街の商店街というより、民芸品店やお土産屋さん、喫茶店なども多くあり、平日にも関わらず多くの人出があり、非常に賑わっておりました!


●カンデオホテルズからコンパへ
そして本日の宿泊ホテル、カンデオホテルズ松山大街道へと移動しました。
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三越の隣、松山中心街のド真ん中に位置する当ホテル、今年の8月にオープンしたばかりの綺麗なホテルで、盛和塾生の方が経営されているという御縁もあり宿泊させて頂くことになりました!!
そして、夜のコンパ!!


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お店は、十五万石という老舗の日本料理店でした。店の大きさも雰囲気も料理も仲間も最高でした!!
笑いあり、涙あり、お祝いあり、感動あり、と楽しい時間は過ぎていきました。
そしてアッという間に1日目が終わりました。


【2日目】
●マイントピア別子
さて、ここからは2日目です。松山を離れバスは高速に乗り、東へ向かいました。
目的地は日本三大銅山の一つである、別子銅山の施設、マイントピア別子です。

住友グループの礎を築いたといわれる別子銅山は、
江戸時代から閉山までの283年もの間で、約70万トンもの銅を採掘しました。

70万トンとは、現在の10円玉に換算すると約1800億枚相当の量です。イメージ湧きませんね。
奈良東大寺の大仏で換算すると1400体分です。って、イメージ湧くかーー。
・・・兎に角、膨大な量の銅が採掘されたわけです、ハイ。


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実際に掘っていた炭坑の一部を使用して展示物を配置しており、班ごとに見学いたしました。

炭坑の奥へ奥へと進み、神妙な面持ちの村上主任。


16とにかく明るい梶高課長。(笑)


●ユニ・チャーム共振館
その後、当社の社外取締役である高原利雄会長のご厚意により、
特別に許可を頂いて実現したユニ・チャーム共振館へ訪問をさせて頂きました。17

大型バスがやや細い道を何度かハンドルを切りかえして進んでいくと、どーーんと存在感のある建物がありました。

それがユニ・チャーム共振館です。見てください、この清潔感のある佇まい、手入れの行き届いた芝や石、非常に雄大で温かみのある施設です。ロゴマークが映えますよね!


施設内も非常に明る18く綺麗で、見るものに理解を深めてもらいたいという想いを感じる展示内容で、皆時間を忘れて見入っておりました。共振館は研修後に多くの参画者が今回の研修旅行で一番印象に残った訪問地であったと言っておりました。本施設を建設した背景の一つに、ユニ・チャームの歴史や考えを伝承する場としたい、ということがあるそうです。我々社員にとって考えが共振する内容が多くあったからこそ、参画者の印象にずっしりと刻まれることになったのだと思います。


19 自らをメモ魔と呼ぶユニ・チャーム創業者の高原慶一朗氏が記した約700冊のメモ帳です。メモ帳の中は文字がぎっしり詰まっておりました。


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施設をご案内して頂いたユニ・チャームの垣内様と一緒に記念撮影です。

皆、清々しい顔をしております。
本当にありがとうございました!!

 


●坂本龍馬記念館
さーてここからは、いよいよ高知に入ります!!
坂本龍馬や中岡慎太郎、土佐勤王党を率いて尊王攘夷を掲げる武市半平太、の土佐です!
土佐♪自然と胸が躍ります!!

21まずは坂本龍馬記念館、主に龍馬が脱藩した後に関連する展示物を置く記念館です。龍馬ファンにはたまらない施設です!!


 

 

22『シェイクハンドぜよ!!』と言われ、男の友情バージョンのシェイクハンドをする林主任。

そして、林主任の次に順番待ちで控えるのは、我らが団長の齋藤副社長。
しっかりと心と手をつないでおられました!!


24龍馬は多くの手紙を残しており、そこからその時々の龍馬の動静を伺い知ることができます。


24-1皆、時間いっぱいまで展示物を
鑑賞しておりました。

 

 


●桂浜
夕方に差し掛かり、いよいよ桂浜に着きました。
ちょうど日の入りの時刻に合わせて行こうという計画を立てておりましたが、
時間通りにいくことができ、見事な快晴に恵まれ、桂浜の日の入りを見ることができました。
心が静まります。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAこの景色を眺めながら、龍馬や土佐の藩士は、どのような志をたてたのでしょうか。


25-1桂浜を望む高台には、龍馬像がありました。そこで1枚写真撮影。

 

 


実はこの桂浜で、今回イベントを企画させて頂きました。
それは、研修のテーマの『変化と前進』をお題にして俳句を作成し、
夜のコンパで俳句発表会をしよう、というものです。

想像以上に素晴らしい景色の桂浜で、皆想い想いに俳句を作成していただきました。
本当に素晴らしい俳句が多く作られましたが、その内の3句を、ここで紹介させて頂きます。

◆雲流る 不動の天地 我進む
◆四国路や 知恵をしぼりし 若き旅
◆史(士)に学び 大義新たに 道進む

・・そうだ、四国行こう♪


●三翠園とコンパ
26いよいよ2日目の宿泊場所へと向かいます。

三翠園、それは土佐藩主山内家の下屋敷跡に建つ旅館で、高知市内で唯一の温泉宿だそうです。

凛とした空気の漂う、由緒ある素晴らしい旅館でした。

 


272日目のコンパは、三翠園内で行いました。仲居さんのおもてなしも良くゆったりとした広めの会場で、皆浴衣に着替え思う存分コンパをさせて頂きました。

コンパの内容は、俳句大会、俳句大会第2弾、スペシャルゲストの登場…と盛り沢山。

詳しくは、お近くの研修旅行参画社員までどうぞ♪そして、夜は更けていくのでした!!


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ここでちょっとご紹介です。

連夜のコンパの司会を見事なまでに取り仕切って頂き盛り上げて頂いた名MC、おしお&ひろのお二人です。
イベントの作りこみ、二人の間合いと阿吽の呼吸、場の展開力、本当に見事でした♪
今後イベント等でこの二人がご入り用の方は、奮ってお申し出ください!!

 


【3日目】
●中岡慎太郎館&生家と岩崎弥太郎生家
さて、いよいよ最終日を迎えました。
今日が研修旅行の最後日かと思うと既に名残り惜しさが残ってしまっております。
とびっきり、盛り上がってまいりましょう!!

29とここで、またも紹介です。
遅ればせながら、今回ご帯同頂きました、せとうち観光のバスガイドさんのご紹介です。

知識・経験ともに豊富で、何よりも話が楽しい!!バスの中では
『ねえ、見て!ほら右!!そこっ!!』という掛け声のもと、多くのことをご紹介して頂きました。

 


303日目、まずは中岡慎太郎館へ向かいました。

バス車中から清岡道之助ら土佐勤王党23志が眠る奈半利川側の福田寺を見ながら、高知市内から1時間ちょっとのバス移動となりました。
現代の文明のなかでも1時間程度かかる高知までの道のりを、中岡慎太郎はひたすら世の中をよくしたい一心で歩いて通っていたのかと思うと、その志の強さを感じずにはいられませんでした。

 


31中岡慎太郎館のそばに、中岡慎太郎の生家もありました。今やこの周辺は柚子栽培が盛んで主要産業ですが、その栽培を奨励したのが慎太郎とのことです。

何もない自分の出身地を危惧して、谷合で日陰の多いこの地域でも育つ柚子の栽培を奨励したそうです。


32『ねえ、見て!ほら右!』とバスガイドさん。

ここは岩崎弥太郎の生家です。

岩崎弥太郎は下士のなかでも身分が低い地下浪人(郷士という身分をも売却した)でした。
身分にとらわれず自らの腕一本で財を成した岩崎弥太郎、三菱の歴史もここから始まったんですね。

 


●バス内でのクイズ大会
高知市内へ戻る車中で、班対抗のクイズ大会を催しました。
予め1~5番を決めており、出された問題に対して、
各々が担当する番号の1文字のみを解答するクイズです。珍解答続出で、かなり盛り上がりました。

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この問題の解答は、『東郷平八郎』なんですが、
2文字目担当の方が塩と書いたため、
班の解答が『東塩平八郎』になってしまいました。どうやら、大塩平八郎と混同されてしまったようですね(笑)


●幕末志士社中からひろめ市場、高知城へ
高知市内に戻ってからは、大河ドラマ“龍馬伝”で使用されたセットが置かれている幕末志士社中、
高知市民と観光客の台所であるひろめ市場、高知城へと足を進めていきました。
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こちらは幕末志士社中です。台所では、包丁の切る音が流れたりしており、
細部にまで拘った作りとなっておりました。

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坂本龍馬と乙女姉さんです(笑)
『乙女姉さん、近すぎるぜよ。』


 

36高知駅前にある『三志像』で記念撮影です。左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎です。

ちなみにこの像はレンタルが可能ということで、坂本龍馬がレンタルされて像がない時は≪脱藩中≫となるみたいです。しかし大きい!!

 


37この日の昼食は、班ごとに、ひろめ市場でとって頂きました。

飲食店舗が約40店舗、物販店舗が約20店舗が大きな屋台村のように集まっており、どの店の料理を食べようか、とワクワクする市場でした。

皆さん、良い笑顔です。


38どうやら松崎係長は、注文したかつおの藁焼きたたきが待ちきれない様子ですね♪

・・そうだ、四国行こう♪

 


39板垣退助と高知城と小田次長♪
またまた、きまってマス!!

高知城は藩主山内家初代藩主の山内一豊が築城しておりますが、松山城の加藤嘉明と同じく、山内一豊も関ヶ原の戦いで徳川方につき功績が認められてのことです。

 


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しかし松山と違うのは、高知の元々の領主の長宗我部氏は毛利方についていたため関ヶ原の戦いの後に長宗我部氏は追い出されてしまい、山内氏が土佐藩を統治することになりました。その結果遺恨が残り、その後は、山内家ゆかりの者が上士、長宗我部氏ゆかりの者が下士(郷士)となり、幕末まで重い身分制度が継続していくことになりました。関ヶ原の戦いってどれだけ影響力があったのか、を四国の名城2つから学ばせて頂きました。

・・そうだ、関ヶ原行こう!!(んっ!?岐阜…)


●土佐っ歩ツアー
いよいよ、今回の研修旅行のラストとなります、土佐っ歩ツアーです。
坂本龍馬コースと武市半平太コースの2班に分かれ、
ボランティアガイドさんのご案内のもと、高知市内を巡りました。

今回はこの2コースにしましたが、他にも上士コース、自由民権運動コース、山内家コース、
土佐勤王党コースなども組める土佐、学ぶポイントをどこにするのかで巡る箇所も違ってくる
この土佐っ歩ツアー、様々な想いが交錯する中で生まれた土佐の歴史の奥の深さを感じました。

41ここは、龍馬のうまれたまち記念館です。こちらの記念館は、龍馬脱藩前までの記録や展示物が残されております。


42こちらは坂本龍馬誕生地です。

才谷屋はここより申し少し西にあったそうです。

ちなみに龍馬の生まれた日と死亡した日は同じと言われており、11月15日、しかも今年は生誕180周年ということで、大々的なイベントが催されていた様子です。我々旅行団は高知入りしたのは11月20日、う~ん、イベントに参加してみたかった、おしい。


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こちらは武市半平太の殉節地です。

伝説の三文字切り切腹、ですね。ボランティアガイドさんには、手作りの資料を持って説明して頂きました。


続いて、はりまや橋です。

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龍馬コースは、坂本家の墓所を訪ねました。

乙女姉さんとお栄姉さんのお墓が真ん中にありました。


46こちらは鏡川の土手です。龍馬が泳いでいた当時は、こんなにも整備されてなかったんでしょうね。


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両ツアーで15箇所程度の史跡を巡り、土佐っ歩ツアーも、無事終了いたしました。


●羽田空港へ
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濃密な行程にて廻った松山・高知の3日間、参画者41名、怪我や病気もなく無事に羽田空港に戻りました。

3日間とも天気にも恵まれ、バスガイドさんにも恵まれ、特別な施設へも訪問することができ、実り多き研修旅行となりました。


今回の研修旅行のテーマを『変化と前進』とさせていただきました。

当初このテーマを決めた時は、幕末期や明治期の劇的な発展を遂げたその背景と志を知ることで、
変化と前進の大切さを再認識して頂くということが趣旨でした。

しかし、研修を終えた後の参画者は、更にその先を見据えどうすれば劇的な変化を起こしていけるか、
どうすれば正しく前進をしていけるか、というところまで思考を深め自らに問いかけをし、
新たな気づきを得ておられました。
微力ながらお力になれたとすれば、これ以上嬉しいことはありません。

まだまだ廻る箇所は多い魅力的な四国、
これをきっかけに是非とも行かれてみてはいかがでしょうか。
・・・そうだ、四国行こう♪

 

松山・高知研修旅行 幹事長 やまうら