鹿児島研修3日目
3日目は知覧を散策しました。
まずは知覧武家屋敷を訪れました!
バスを降りると、江戸時代後期に
タイムスリップしたかのような街並みです!
時代劇に出てきそうなお家!!
武家屋敷群の18.6ヘクタールは、昭和56年に
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、
7庭園は国の「名勝」に指定されました。
修繕・修復を繰り返し、なんと200年以上も
変わらぬ姿を維持しています(> <)
生け垣と石垣が本当に美しい!
お庭を囲むグリーンが青空に映え、
より鮮やかに見えます。
生垣やお庭は実に美しく手入れされています!
この街並みを後世に残そうという、
やさしい家主や地域住民の気持ちが
伝わってきました。
みんなで縁側にならんでいるところをパシャリ★
枯山水を眺めています^^
知覧には、陸軍少年非行兵が操縦教育を受けた
知覧飛行場がありました。
しかし、戦況は徐々に悪化していき、
戦争末期には、戦闘機もろとも敵艦に体当たりする
特攻攻撃隊の基地となりました。
知覧特攻平和会館には、戦死した1036名の遺書や
遺品が展示してあります。
これから死ぬという人は一体どんな気持ちであったのか・・
敵を憎み、時代を憎み、特攻隊に入隊した自分を「運が悪い」
と思っていたのではないか、と想像していましたが、
特攻隊員達が残した遺書には「笑って往きます」と書かれたものが多くありました。
「笑って往きます」とは、自分は少しも辛くない、
殉死できることがうれしいのだと、家族が悲しまないよう、
また自分のことを誇りに思ってくれるようにと周囲を気遣って残した言葉のように感じます。
最後まで自分のことではなく、家族や恋人への感謝の気持ちを記した遺書を見て涙が溢れました。
映画「俺は君のためにこそ死にに行く」
の撮影に使用された複製です。
当時、知覧の特攻基地からは120基が
飛び立ちました。
まったく違ったものに見えました。
西郷隆盛も坂本竜馬やお竜。
戦地に向かった若者たちも
この景色を見たのかな。。
私は昨日まで、ちっぽけなミスを恐れ、一歩前に進むことも躊躇していたけれど、
彼らがそういう姿を見たら、きっと悲しくて、悔しいよな。。
そう思うと胸が痛く、鹿児島空港へ向かう車内では
しばらく言葉を発することが出来ませんでした。
さすがにヘトヘトになった私達。
機内ではグッタリ(´_`。)
21時に東京に到着。
みんなからねぎらいの言葉をもらった幹事団
゜゜・(≧д≦)・゚゚・
至らぬ点もたくさんありましたが、
みんなに助けられ、全員無事帰ってくることができました!
たくさんのものを見て、学び、かなり濃密な3日間でした。
みんな本当におつかれさま。
留守の間ご対応いただいた皆様、ありがとうございまいした!!
(なん)