2019年5月のさと、うま ホモ・デウス下@ユヴァル・ノア・ハラリ


下巻も読破。

総じて感じたことは、これは予想や予言ではなく、
様々な事実や数字に基づいた「正確な未来予測」ということ。
神にはじまる人類の歴史、そして直近のテクノロジーとアルゴリズムの
成長、人間史上主義からデータ至上主義へ。
訪れるであろうホモ・デウスの世界への根拠と論理がわかりやすく
描かれている。

もう一度、本書上巻の一文もおさらいしておこう。

「人類は自らにとって最悪の敵であり続けた、飢饉と疫病、戦争を克服しつつある。この三つの問題を克服した我々は、今後不死と幸福、神性の獲得を目標とするだろう。人類は自らをアップグレードし、ホモ・サピエンス(ヒト)をホモ・デウス(神)に変えるのだ。生物工学や情報工学などのテクノロジーを用いて、世界を、そして自分自身をも思いどおりに作り替え、想像することを目指すのである・・・」

社会人として、気になったのは「経済成長」について。
文中にこのようにある。
・・・過去はそうではなかった。オスマン帝国のスルタン、鎌倉幕府の将軍、漢王朝の皇帝は、自らの政治的命運を賭けて経済成長を保証することは、まずなかった。モディやエルドアン、安倍、中国の習近平国家主席が揃って自分の政治生命を経済成長に賭けているという事実は、成長が世界中でほとんど宗教のような地位を獲得したことを物語っている。実際、経済成長を宗教と読んでも間違っていないのかもしれない。なぜなら今や経済成長は、私たちの倫理的ジレンマのすべてとは言わないまでも多くを解決すると思われているからだ。経済成長は良いこといっさいの源泉とされているので、人々は倫理的な意見の相違を忘れ、何であれ、長期的な成長を最大化するような行動指針を採用することを奨励される・・・

いくつもの時代を経て、人類の多くは神ではなく、
思想も理念も意識もすべてのゴールが経済成長だという。
当たり前すぎるかもしれないが、とても恐ろしく感じる。
日本史は詳しくないが、争いや統治の主は、宗派、領土、
一族のからみであり、「経済成長」とは言い難い。
そして経済成長の後押しをするのがテクノロジーとアルゴリズム。

思えば過去数千年もの間、私たち人間はずっと専門化を
進めてきたのだという。

そういわれると家族で食堂に行った時代がとても懐かしい。
私はカツ丼、妹はオムライス、弟はエビフライ、両親は
ビールに枝豆と餃子、祖父母は日本そばをそれぞれ食べている。
対して現在、たいていはカツ丼はカツ丼専門店、
餃子もラーメンもそうだろう。
より細分化され、嗜好にあう店を探して、行列をなし、
多くの時間を費やしてまでも一食にこだわる。

そのような専門化は狩猟採集民と比べて得意な分野が
非常に限られているので、AIに置き換えやすいらしい。

アマゾンのキンドルで電子版の書籍を読んでいる。
しかし実はその私がどのページを繰り返し読み、ラインを引き、
何分かけて読んだかを逆に読まれているのが現代だ。

馬から馬車へ。
馬車から自動車へ。
その自動車も自動運転技術の進歩により、運転手は別の業務を担い、
駐車場はなにか別の施設に利用されていくのだろう。
しかし私たちは車が欲しいわけでもなく、
自動運転車に乗りたいわけでもない。
移動しやすいことを望んでいるはずだ。

人類はどこにむかっているのだろうか。
むしろ、どこかに導かれているだけではないか。
みなで議論したくなる一冊だ。

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■関係サイト
2019年3月のさと、うま ホモ・デウス上@ユヴァル・ノア・ハラリ
https://search.sunfrt.co.jp/blog/staff/yby/p12385/

タイトル:ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来
著  者:ユヴァル・ノア・ハラリ
発  行:2018年9月30日
発行所 :株式会社河出書房新社

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