長崎研修旅行に行ってまいりました!

今年もサンフロンティア不動産株式会社研修旅行月間がはじまりした。
第一弾として長崎研修旅行班が出発します!!
当社は、年間通して全7コース(毎年少し変わります)で研修旅行をし、
そのうち4コース(萩・広島、京都、松山・高知、長崎)が11月に出発します。
他にも5月にベトナムダナン、10月には飛騨・高山、最後に新入社員研修の鹿児島が2月にあります。


平成29年11月9日(木)

30人のサンフロマン、サンフロウーマンがAM6:10に羽田空港に集合しました。
1:集合
いざ、長崎へ・・・


AM8:50 長崎空港到着
3:長崎空港
専務取締役中村団長率いる30名が長崎に無事到着。

そう、我々は過去の歴史を学び、自らを変革する機会を得るために旅に出ました。
「発動の機は周遊の益なり!!!!!」

研修テーマ:「時勢に応じて自分を変革しろ~大政奉還から150年 世界に向けた志~

場所:長崎県
主な訪問場所:三菱重工長崎造船所(長崎造船所史料館)、眼鏡橋、風頭公園、亀山社中記念館、日本二十六聖人殉教地、大浦天主堂、原爆資料館、平和公園、佐世保史料館、出島、軍艦島、中華街、稲佐山、ハウステンボス等々

それではスタート⇒よろしくお願い致します!!


≪1日目≫ 9日(木)

最初に訪れたのは、『長崎造船所史料館』世界遺産です。
三菱重工となった今も尚、稼動している造船所へお邪魔させていただきました。
1 42-1:軍艦島
安政4年(1857)に江戸幕府の長崎鎔鉄所としてスタートを切り、明治政府に管理が移った後に、明治20年(1887)に三菱重工業に払下げとなりました。岩崎弥太郎によって三菱重工は長崎という地から日本を代表する大企業へと成長していきました。また長崎造船所のうち小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(現史料館)、占勝閣の5資産が世界遺産の構成資産となりました。なかでも占勝閣は、三菱重工に務められている方でも退職時にしか入ることが出来ないそうです。
5:造船所2 あ
皆、聞く姿勢が真剣そのものです。(右手前:柳次長)     造船工具を持ってみる。秘書の河本社員

史料館ではガイドさんにご案内いただき、多くの学びがありました。
そしてなんといってもすごかったのは、大きなクレーン。
ジャイアント・カンチレバークレーンは世界遺産です。

約100年前にイギリスから購入し、現在も造船用クレーンとして今も尚、稼動し続けています。立派です。
ちなみに、イギリスにも同型のものがあるそうですが、イギリスのクレーンはバンジージャンプの名所とされているそうです。

続いて、午前中は長崎市内の観光名所を散策。


<眼鏡橋>

寛永11年(1634)、興福寺の高名なお坊様が設計した日本初のアーチ式石橋です。川面に映った影が双円を描き、「眼鏡」に見えることから、この名前がついたと言われます。当社の支店も近い『日本橋』と『錦帯橋』と並び日本三名橋です。なお昭和57年の台風で全て流されましたがその後、修復されました。眼鏡橋近くにハートの石が埋められており、カップルが集まる写真スポットのようです。
あいう あい


<亀山社中記念館>

坂本龍馬が、慶応元年(1865)、薩摩藩の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。亀山社中最大の功績は、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結です。それが明治という新しい時代を拓くための足がかりとなったのです。ちなみにこの山の上(登るのが大変でした。)に社中がある理由は、眼下にあった長崎奉行所の動きを見張るためといわれています。
11:亀山社中入口
亀山社中に興味津々な並木社員(日本橋店)

16:ブーツ(鵜沼主任)
ブーツを履いた鵜沼主任(リプランニング事業部)
長崎市内を眼下に見下ろし、龍馬が見ていた志を感じています。

龍馬像の前で集合写真
20:頂上龍馬像集合写真


全員での散策を終え、各チームに分かれ長崎市内を散策しました。
<矢部係長チームは中華街へ>
矢部係長(リプランニング事業部)は得意のガッツポーズ角度。
21:自由行動(中華街)
(左から矢部係長、小林社員、山本社員)

<牛山次長は二十六聖人殉教地へ>
24:二十六聖人

<大本係長班は、現地の不動産屋さんへ>
あいうえ
(左からから佐藤主任、比嘉社員、大本係長)
賃料相場などをヒアリングするなど、各メンバーが研修に望むにあたり、事前にそれぞれ目的意識をもってもらい、当日の研修旅行に参画していただきました!!
オシャレな現地の不動産屋さんです。


続いて、長崎市内散策を終え、夜はなんと言っても日本新三大夜景の一つである長崎の夜景を見に
稲佐山へロープーウェーで登ってきました!
27:稲佐山1
長崎の夜景は素敵です。是非、恋人、奥様に見せてあげてください。
28:稲佐山2 あいうえお
(左から大本係長、年盛社員、菅社員、寺田課長、茨木主任)


夜景を見た後は、夜のコンパへ
一日の感想を各班で共有し、更には班対抗によるクイズ大会!!

考え込まれた多くの問題があり、大いに盛り上がったと同時に、皆の記憶を刺激する非常に
濃厚な時間を過ごさせていただきました。
31-2:コンパか
班対抗クイズ大会の優勝は『エリート軍団中村専務チーム』(左から北原社員、原田主任、茨木主任、中村専務)
おめでとうございます!!


≪2日目≫ 10日(金)
スケジュールとしては、『大浦天主堂→長崎原爆資料館→平和記念公園→佐世保史料館→ハウステンボス』を訪問します。

<大浦天主堂での集合写真>
32:2日目大浦天主堂
大浦天主堂は二つの歴史的出来事と密接に関わっています。一つは、1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会です。そのため、大浦天主堂は殉教に向けて建てられています。もう一つは、1865年におきた信徒発見です。大浦天主堂は1865年2月に浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。約260年、7代に渡り信仰し続けたその心に、畏敬の念を抱きました。

大浦天主堂から移動し、原爆資料館、平和記念公園へ

1945年8月9日午前11時2分、長崎の時計の針が止まりました。
アメリカ軍の戦闘機が長崎市内に飛んできました。原爆投下の第一目標は福岡県小倉市(現:北九州市)。しかし小倉は前日からの爆撃により漂っていた煙の影響で投下目標地点を確認出来ず、第二目標である長崎に変更となりました。子供たちが外で遊び、多くの方が仕事をしていた午前11時2分。長崎に国内2発目の原爆が投下されました。長崎の街は一瞬で地獄のような風景へと変わりました。
当時の悲惨さ、そして、現在の平和な世の中。様々なことを考える機会となりました。
34-2:原爆資料館
感じる三柴社員(リプランニング事業部)。今後の生き方が変わると信じております。


1
長崎平和公園上空は、この日も晴天でした。

今回の研修旅行で、原爆被害に対して長崎は「祈りの長崎」と言われる由縁が少しわかった気がします。長崎市内には多くの教会があり、「祈る」という習慣が、日常の近くにあると感じました。また原子爆弾の被害は、幾つかの地形的要因により、三菱造船場やグラバー邸、花月と数々の史跡が残っている箇所もあります。これは奇跡以外の何ものでもないと感じます。その奇跡に感謝をし、今日もまた世界平和に手を合わせ祈ります。


それでは長崎市内から移動し、長崎研修旅行1つ目の目玉。ハウステンボスへ!!

HISの澤田社長が就任し、わずか1年で黒字へと再生したハウステンボスを見に行きました。
37:ハウステンボス かき
仲良し『川西次長チーム』素敵な写真です。    御年65歳中村団長セグウェイに乗る
(左から松尾係長、岩崎主任、川西次長)
各班に分かれて約四時間、自由時間を満喫しました。


そして夜のコンパは牛山次長(リプランニング事業部)の挨拶で乾杯です。
38:コンパ

2日目のコンパは、各参加者から長崎研修においての自身の心に残った風景をはがきに描いていただき、
コンペをしました。
38-2:コンパ絵

見事1位は茨木主任の絵葉書です。1日目のクイズ大会に続き、2日目も受賞!!
長崎市内で見て、聞いて、感じたものと、絵葉書について真剣に語っております。
38-3:優勝茨木さん
コンパ後は、ハウステンボスの日本№1イルミネーションを見に行きました。
かきくけ かきく


≪3日目≫ 11日(土)

最終日は朝からハウステンボス株式会社の部長柚木様による『ハウステンボス再生までの道のり』の講義を受けさせていただきました。
39:講話
いつの日も、変化をし続ける企業こそが日本経済を引っ張っていると感じました。その変化の根本は、従業員の意識変化であります。「従業員の声を聞き、やりたいことを応援する企業が変化を恐れない会社である」という話が私は非常に印象に残っています。澤田社長は、従業員の意識改革として3つのことを語ったそうです。①明るく、元気に、楽しく!!②みんなでキレイに③2割の効率化です。しかしこれを語ったのは一度だけ。その後は澤田社長が自ら3つのことを実践し社員に背中で示したそうです。

そんなリーダーになれるように私も自分を変革させていく所存です。


ハウステンボスを後にし、昼食は長崎市内にある史跡料亭『花月』へ。

長崎市丸山町は「長崎に丸山と云ふ所なくば、上方の金銭無事に帰宅すべし」と江戸時代人形浄瑠璃作家の井原西鶴が評した場所です。長崎の遊郭で丸山随一といわれた引田屋が寛永19年(1642)に創業しました。文政元年(1818)、その庭に茶屋として作られた「花月」にお邪魔致します。創業三百七十五年になる花月のお座敷で、長崎卓袱料理をいただきました。
花月は明治維新の立役者・坂本龍馬をはじめ亀山社中のメンバーらが良く会合した場所として、当時のままに情景を感じることができました。
(写真右上:龍馬の刀傷です。右に1カ所、左に2カ所)
41:花月 41-4:花月
41-3:花月 41-5:花月


長崎研修旅行最後のイベント!!⇒軍艦島(端島)に向かいます。

軍艦島までの道中は波が運よく荒れ模様。
「本日、晴天なれど波高し」という感じでしょうか。多くの仲間が船酔いの中、無事に着岸出来ました。
42-4:軍艦島 42-7:軍艦島
(右写真中央:日本最古のRC造アパート)

島内は、ガイドの方にご案内を頂きましたが、住んでいた子ども笑い声や人々の生活する声が今にも聞こえてくるような街並みがそこには広がっていました。

さて長いようで、短い長崎研修旅行は以上の写真を持って終了です。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
幹事として参画させていただき、濃厚な3日間を過ごさせていただきました。
様々な学びから多くのメンバーが、自身の変革を考える機会を得た研修旅行になったのではないしょうか。

過去、日本が鎖国をしていた時代、海外との貿易窓口として唯一の場所出島がある長崎は、海外の文化が交じり合い、歴史の積み重ねを感じることができました。昔ながらのもの、今も尚、変化している場所でもあります。私たちも現状に満足することなく、常に変革を楽しまなければならないと感じる研修となりました。

引き続き、当社と我々仲間の変革を楽しみにしていてください!
よろしくお願いいたします。

最後に。
44:幹事写真
幹事団のメンバーは(左から)
中村団長
構社員(港店)
青野副幹事長(リプランニング事業部)
野中幹事長(不動産ソリューション事業部)
大西社員(銀座店)
並木社員(日本橋店)

ありがとうございます。
リプランニング事業部 青野瑞樹より。