南アジアのゲートウェイ スリランカ旅行記 〜ダイジェスト版〜

アーユボーワン!(こんにちは)

一昨年のバングラデシュ、昨年のミャンマーに引き続き、
(ミャンマーブログ:https://search.sunfrt.co.jp/blog/staff/staff_etc/p579/

今年の夏期休暇は、昨年の忘年会でサンブログメンバーからいただいた
「地球の歩き方」とともに6泊8日でスリランカへ冒険に行ってきました。


スリランカ紀行 (1)

スリランカへは成田からスリランカ航空の直行便が週4便出ており、9時間30分程度で行けます。

ちなみにスリランカとは「光り輝く島」という意味だとか。


スリランカ紀行 (2)北海道の0.8倍ほどの面積に2,000万人が住んでおり、国民の7割が仏教を信仰し、イギリスの植民地だったことから英語が通じます。

スリランカに注目した一番の理由は、海運・物流の拠点として、ヒト・モノ・カネ等のあらゆる資源が集まり、将来の発展を予感したからです。


私は世界地図を眺めることを日課としているのですが、まだあまり注目されておらず、

次に成長する国はどこだろうと考えていたとき、スリランカに地理的優位性を感じました。

それはシンガポールや香港のような存在になれる要素を秘めているということです。

調べたところ、一人当たりGDPは日本の10分の1程度ですが、
2009年に26年続いた内戦が終結後、海外からの投資が増え、大きく成長していました。

最近では、佐川急便が現地の同業大手を買収するなど、日本でも注目度が高まりつつあると思います。

そのようなスリランカの観光スポットをダイジェストでレポートいたします。


■ジェフリー・バワ(1919〜2003年)

この建築家をご存知でしょうか。
バワの建築手法はリゾートホテルの原点と言われており、
世界一のリゾートと称されるアマンにも多大な影響を与えているようです。

一番有名なところでは、世界中のリゾートホテルで採用されているインフィニティプール
(海や地平線につながってみえるプール)などもバワのアイデアだそう。

スリランカ紀行 (3)

有名なところでは、シンガポールのマリーナベイサンズとかでも採用されていますよね。

写真がイマイチですが、こういうプール。


今後スリランカ紀行 (4)、当社グループがホテルの開発・再生・運営を手掛けていく
方針を掲げているからには、ホテルについて幅広く学んでおこう
と思い、バワが生前住んでいた「No.11」という家へ訪問。


スリランカ紀行 (5)

ここは内部を見学できるだけでなく
宿泊もできるようです。

バワファンだという、たまたま居合わせた
英語ペラペラの日本人女性と共にガイドさんに
案内していただきました。


スリランカ紀行 (6)バワは日本にも縁があり、左に見える菩提樹は1970年大阪万博でデザインしたセイロン館の
オブジェとのこと。

写真撮影が禁止されていた場所では、
大阪訪問時に受けたインスピレーションで作成した作品の展示やソニー製のテレビなどもありました。

創造欲をかき立てられる空間が広がっており、
建築好きな方には特におすすめです。


■アーユルヴェーダ

こちらは日本でも人気となっていますが、
5,000年以上の歴史を持つインド伝統医学で、
世界三大伝統医学(他は中国医学・ユナニ医学)のひとつだそうです。

アーユルヴェーダとは、
古代インドのサンスクリット語で生命の知識、科学を意味し、

会う人に「白髪増えたね」と言われることが急増した私としては、
心身のメンテナンスを施すべく、フィロソフィの教え通り純粋な心で挑戦しました!

1、2週間の本格的なものではなく、日帰りで施術を受けるべく、
トゥクトゥクのお兄さんに聞いて、連れていってもらったのがこちら。

スリランカ紀行 (7)ん?ヨガヴェーダ?もしかして何か違うのかと思いつつ、
トゥクトゥクのお兄さんの「安くていいところだよ!」という
言葉を信じ、建物の中へ。

スリランカ紀行 (8)30分以上にわたる事前のハードな料金交渉を経て、無事に体験。

頭が油でベトベトになった写真は掲載できませんが、癒しのひとときとなりました。


■シギリヤロック
スリランカ紀行 (9)スリランカには6つの文化遺産と2つの自然遺産がありますが、
代表的なものが古都シギリヤとして登録されている遺跡です。

約200mの高さという圧倒的な存在感を醸し出す岩の上には
1,500年前に王位継承争いを経て、狂気の王による宮殿が築かれていました。


 

その宮殿跡を目指して、ひたすら階段を上っていきます。スリランカ紀行 (10)


スリランカ紀行 (11)これはライオンの足と言われる場所。
本来は頭部もあり、ライオンの口の中を通って
頂上を目指す造りだったようです。


スリランカ紀行 (12)1時間かけて辿り着いた頂上は、心地良い風が吹き、見晴らしのよい空間で、貯水池や階段状の庭園もあり、高度な科学技術を持っていたことが窺い知れます。

天空の城ラピュタの世界を彷彿させるとも言われており、一見の価値ありです。


■番外編:スリランカの建物

スリランカ滞在中、一番興味深かったのは建物です。
ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地支配を受け、
さまざまな様式の建物が今もたくさん残っています。

そしてそれらが時代に合う用途で再利用されていました。スリランカ紀行 (13)
例えば、コロンボ・レース・コースは競馬場として使われていた建物を文房具店や飲食店、カフェに用途変更?し、ターフは運動場として利用されています。スリランカ紀行 (14) スリランカ紀行 (15)

ダッチ・ホスピタルは1600年代に建築されたオランダ病院でしたが、
今では全面改築され、アパレル、スパ、飲食店などが入居する商業施設となっています。スリランカ紀行 (16) スリランカ紀行 (17)

他にも紅茶工場がホテルになっていたり、不動産再生を手掛ける当社として、
とても参考になる建物が多くありました。


スリランカ紀行 (19)スリランカ紀行 (18)一方で、建設ラッシュが続き、

ハイアットホテルやシャングリラホテルのオープンが予定されているなど、

急速に開発が進んでいる印象を受けました。

 


■最後に

昨年、安倍首相が日本の首相として、24年ぶりにスリランカを訪問されています。

その際のスピーチでも触れられていますが、
戦後日本の処遇を決める1951年のサンフランシスコ講和会議において、
ブッタの言葉を引用し、日本の主権を擁護する演説を行ってくれたのは、
スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ氏(当時は蔵相)なのです。

この演説により、流れが大きく変わり、日本は厳しい制裁措置を免れ、
国際復帰への道につながっていったと言われています。
この方は後に大統領となり、首都の名前としても残っています。

スリランカでは有名な話のようですが、何も知らなかった私はとても恥ずかしく感じ、
歴史を学ぶことが今を知ることになるのだと改めて思い知らされました。

他にも伝えたいことは盛りだくさんありますが、レポートは以上で終わりとなります。

是非現地に足を運び、自ら感じてみてください。

ストゥーティー!!(ありがとうございました)
スリランカ紀行 (20)
T夫